【第10回王道トーナメント優勝者・小島聡選手インタビュー】初出場の王道トーナメントは「32年というキャリアにして、ここまでムキになって試合させてもらった」9.3長岡での三冠戦は「32年間、俺はプロレスラーをやってきたんだぞって試合を見せたい」
8月27日名古屋大会で閉幕した第10回王道トーナメント優勝を飾ったのは、新日本プロレス・小島聡選手。
初出場の王道トーナメントを振り返ってもらうとともに、古巣全日本プロレスでの三冠王座挑戦への意気込みを伺いました。
■これまでまったく知らなかった選手ばかりと試合をして、すごく充実した毎日を送らせてもえたなというのがあります。
――まずは、第10回王道トーナメント優勝後の率直なお気持ちをお聞かせください。
小島 月並みなんですけれども感謝しかなくて、そういうきっかけを最初にくれた全日本さんにもそうですけれども、継続して上がらせてもらえる時間をくれたっていうのもそうですし。その中で、すごく魅力的な対戦相手にたくさん出会うことができたんですね。宮原健斗選手を筆頭に、すごく熱くて、能力も高くて、素晴らしい選手とばかり試合をさせてもらっている印象があって。32年というキャリアにして、ここまでムキになって試合させてもらったっていうのも、すごく自分の中で印象深いというか。それが、どの選手とやってもそういうテンションになれたんですね。これまでまったく知らなかった選手ばかりと試合をして、すごく充実した毎日を送らせてもえたなというのがあります。
――ありがとうございます。では、王道トーナメントを1試合ずつ振り返って頂きたいと思います。まず、8.19後楽園大会での王道トーナメント1回戦は斉藤レイ選手と対戦しました。小島選手のトレードマークの鼻テープをはがされ、さらにそれを食べられるという事件もありましたが…
小島 斉藤ブラザーズ自体に、前から興味があったんですね。全日本プロレスに上がるようになって、斉藤ブラザーズと直接関わることができたじゃないですか。すごく昔ながらのプロレスラーを体現しているというか。2人とも身体も大きくて、豪快で風貌もワイルドで。本当に、自分が子供の時に見ていたプロレスラー像を現代に蘇らせてくれたような印象があって。試合をしていてわくわくドキドキするというか、身体がとにかく大きくてパワーもあるし。でも、実際はどういう性格してるんだろうなとか考えながら試合しましたけどね(笑)普段からあんな感じのテンションなのかな、とか。普段から鼻テープ食べちゃうようなテンションなのかなと思ったりしながら試合をしたんですけれども。まあ、プライベートはわからないんですけれども、試合をやっていて本当にプロレスラーらしい人間だなと思って戦いました。
――2回戦、大日本プロレスの野村卓也選手とは初の対戦となりました。
小島 野村選手とはシングルもタッグも経験がなく、完全に初めてで。正直ぱっと見の印象で言うとものすごく優しい顔をしてるなと思ったんですね。大学生かと思ったんです(笑)年齢不詳というか、わからなくて、若々しくて、言い方が失礼ですけど幼く見えたんですね。だから、プロレスをやるイメージも全くわかなくて、それが実はあんなに怖い蹴りを出したり、ビンタしたりとかっていう選手だということを後から知って…これは大変だなと。とにかく人は見た目で判断しちゃいけないということを野村君が教えてくれたというか。大日本の選手ですけれども、全日本で揉まれて試合もいっぱいして、肝が据わってる人だなということを試合しながら感じましたね。
――準決勝では石川修司選手と対戦しました。石川選手は全日本でも三冠も巻いていますし、身長195cm、体重
130kgといわゆる全日本らしい大型選手です。ここを突破できるかが優勝への肝になったのではと思うのですがいかがでしたか?
小島 やっぱり、あそこまで身長と体重がどちらもがっちりしている人って日本人ではなかなかいないと思うんですよね。身長がすごく高いか、身体が横に大きいか、そのどちらかはいると思うんですけれども、そのどちらも兼ね備えているっていう人は、自分のレスラー人生でも、日本人では見かけたことがないくらいの印象だったんですね。実際に試合をしてみても、ものすごく動けるんですよ。ものすごく動きが早くて、俊敏で、そこに驚きというか、ずっと全日本で揉まれてきた人、ベルト戦線にずっといた人だなと思ったし迫力もあって、大変な人と戦っているんだなと思いました。
――準決勝突破後、同日に行われた決勝戦では本田竜輝選手と対戦しました。本田選手は、新日本プロレス・永田裕志選手に師事をして”更生”し王道トーナメント決勝戦まで勝ち上がってきましたが、実際に対戦してみて印象は?
小島 このキャリアにして、同じ日に2試合するというのも大変でしたけれども、その相手が本田竜輝選手だったというのも感慨深かったというか。一度チャンピオン・カーニバルで対戦経験があって、それを受けての今回2度目だったんですけれども。やっぱり、総合力がすごく高い選手。技もスピードも力もあるし、全部を兼ね備えた、総合的にもすごく能力が高いプロレスラーだなと思ったんですね。次の展開を読む力にすごく長けていて、自分がこうしようと思った技の2つくらい先を読んでいて技を切り返してきたり…とにかく、プロレスラーとしての能力が非常に高いというのを試合をしながらすごく感じていたんですね。そこにさらに、永田裕志の技をミックスさせたりとか。とにかくプロレスにおける頭の良さを試合しながらずっと感じてましたね。
――そんな中、小島選手が見事優勝されました。8.22新木場大会では、三冠王者の青柳優馬選手から、王道トーナメント優勝者と9.3長岡大会で三冠戦を行うというマイクがありましたが、その時点で三冠戦線への意識はありましたか?
小島 そうですね、青柳選手に言われる前にも、このトーナメントがあった時点で、優勝したらこの先には何が見えるんだろうと想像はしましたし、やっぱりその先に見えたものはベルトだろうとは思っていましたし。私自身が2010年に一度手放したベルトにまた、13年後にまたこのベルトに絡めるっていうのは、感慨が深すぎるというか。ただ、やっぱりプロレスラーですから、ずっと感慨深いと思っているだけではいけないと思いますので、やはりベルトを手中に収めたいなと思っています。
■9.3長岡、青柳優馬との三冠戦は「とにかくお互いムキになって熱いものを見せ合えれば」
――王道トーナメントを優勝して、本当に久しぶりの三冠挑戦になりましたけども、いまのお気持ちは?
小島 初めて三冠チャンピオンになってから、18年という時間が流れたわけで、18年っていう時間を考えると本当に長いなっていうのがあって。2回獲ったんですけども、2005年に獲って、その後に2009年にもベルトを戴冠して、2010年の3月にベルトを落としてしまって、それからは機会がなかったんですけども。そう考えるだけでも、13年という時間が流れたわけで。歴代のチャンピオンとかを調べたんですけれども、私が最後にベルトを持っていたのが第40代で、いま青柳選手が第70代なんですね。だからもう、30回の入れ替わりがあるっていうか、それだけの歴史を積み重ねてきたベルトなんだなと思うととても感慨深いです。
――2005年は小島選手のプロレスラー人生にとって、思い入れが深い1年では?
小島 その年のプロレス大賞MVPも取れたりとか、やはり今思い返しても、一般的に言われる全盛期と言われている時間だったのかなという思いはありますね。
――2005年は三冠、IWGPも戴冠し、史上初の四冠王になりました。
小島 2月に史上初と呼ばれた四冠のベルトっていうのを手にして、自分自身もすごく自信があったし、怖いものは何もないくらいの気持ちをもって過ごした時間でしたね、今思えば。
――いろんなことがあって、武藤敬司さんや佐々木健介さんとの三冠戦もありましたが
小島 武藤さん、健介さん、川田(利明)さんからベルトを獲って、先輩との歴史っていうのがね。当時の大先輩の壁を乗り越えたっていう時間でしたね。
――あの1年っていうのが、現在のプロレスラー小島聡を作り上げた濃い一年だった気がします。
小島 私のプロレスラー人生を振り返っても、あの1年が色んな意味で黄金期というか、自分自身の中でも語れる1年だったと思いますし、あの1年があったからこそ、今でもこうやって元気よくというか、色んな団体からオファーを頂いたりとか、最近は。自分の中で実績というのを作れてきたからこそ、今があるのかなという気がします。
――三冠以外でも振り幅が広くなった1年じゃないかなと。
小島 他団体に多く参戦した年でもありましたし、インディーと呼ばれている団体にも数多く出させて頂きましたし、自分自身の可能性をすごく大きくしてもらえた1年間でしたね。あの時は。
――そういう思いがあって、当時は全日本プロレスの小島選手っていう。全日本プロレスに対しての思いは?
小島 全日本で、所属選手として過ごした時間っていうのは約8年間。決して短くない時間ですから、その時の思い入れっていうのもすごくありましたし、今思い返してもあの8年間っていうのは、すごく自分にとっての濃密な、一番いい時代っていうか、レスラーとして32歳から40歳ぐらいまでっていう、一番レスラーとして充実しているといわれている時間を過ごせたと思っているので、やはり思い入れは深いですね。今でも。
――そういう思いがあって、今回の三冠戦はいかがですか?
小島 いろいろな巡りあわせがあって、また全日本プロレスさんに関わることができて、そしてさらに、三冠ヘビーのベルトにも関わることができるっていうのは、レスラー冥利に尽きるというか。そうやって注目して頂ける場所に出られるっていうのは、プロレスラー冥利に尽きると思っています。
――現役選手で、三冠を巻いている中で一番古い選手になってしまいましたが、自分もそこまできたという感覚はありますか?
小島 それはね、32年もやってますから。自分自身がそういう年齢になるっていうのをイメージしたことがなくて。言われて初めてイメージをしてみるってそういう感覚ですね。もうすぐ53歳なんですけれども、53歳っていうその言葉の響きがすごく印象に残っていて、それは私が全日本プロレスに入ったばかりのころ、当時、天龍源一郎さんが53歳だったんですね。技の名前にも53歳っていうのがあって、その53歳っていう響きがとても大きく私の中に印象に残っていて、もうすぐそこに到達するんだなっていう、そういう感慨もあるんですよね。
――当時、小島選手は上に挑んでいく存在でしたが、今逆の立場になってみていかがですか?
それだけの年を重ねて、こういう年齢になってキャリアも重ねて、自分より先輩っていうのがだいぶ少なくなってきてしまいましたから、そう考えるとそうやって言われるのも全然不思議じゃないなと思いますけど。
――今回の三冠チャンピオン青柳優馬が27歳ですが、下の世代と戦う三冠戦をどう思いますか?
小島 27歳ってことは、私が三冠ベルトを持っていた時に、9歳とか10歳とかってことですよね!?当時、小学校4年生とか5年生くらいって感じですよね。そうやって考えると、ものすごい時間が経ったなという思いはあるんですけれども、実際問題リングに上がって試合してればそういうのは一切考えなくなるんで。今はもう立派な大人というかね、青柳選手も身体も大きいし、大人として試合に臨みたいなと思ってます。
――今、小島選手が三冠に挑む意味とは?
小島 自分自身がプロレスラーをやってきた中で、大きな舞台に携わっているっていうのは、すごくありがたいなと思いながらいつも試合をしているんですね。だから、自分だけが主役をとりたいとか、そういう感覚はないんですけど、もう正直言うと。ただ、一つの物語の登場人物では居たいなと思ってるんですよね。だから、それが今回の三冠戦線だったり、全日本プロレスさんの中で、チャンピオン・カーニバルがあったり、王道トーナメントがあったり、そういう1つの物語の中の登場人物でいられたので、それはそれでまたその思いをもって試合をできればと思います。
――今の全日本プロレスの若い世代に伝えたいことはありますか?
小島 いやいや(笑)私自身が伝えられるほど、すごいことをしてきたわけではないので。しかもずっと全日本プロレスにいたとかなら違うんでしょうけど。色々な団体を移ったりとかもしましたし、そういう経験をしてきた中で今があるので、伝えられるとか言える義理はないんですけれども。ただ、やっぱり32年という時間を懸命に過ごしてきたっていうのがあるので。そういう部分の自分の何かっていうのを伝えられればなっていうのはあります。
――小島選手自身、18年前に新潟で三冠戦をやって(新潟市体育館 vsジャイアント・バーナード)以来の新潟での三冠戦です。当時、バックステージコメントでまた新潟で三冠戦をやりますとコメントしていましたが、また新潟で三冠戦をすることについては?
小島 2005年にジャイアント・バーナード選手とやりましたね。あの時はチャンピオンでしたけど、今はチャレンジャーとしてこういう舞台にまた立てることを、ありがたいなと思いながら試合したいなと思います。
――ベルトへの欲はどうですか?
小島 ベルトへの欲は、正直言うとですね、そこまでないですね。こういう言い方をしていいのかわからないですけれども、絶対にベルトが欲しいとか、そういう欲とはもう違う次元にいるというか…。さっきも言ったんですけれども、プロレス界が盛り上がるストーリーの中の登場人物で居たいっていうのがすごくあって。今回の三冠戦線っていうかね、王道トーナメントから続く流れの中で三冠に挑戦するっていうのを、また物語の中の一人として入っていられるのは嬉しいっていうのはあります。
――登場人物というところで言うと、同世代の永田裕志選手が2月から三冠のベルトを持っていましたがそこも刺激になりましたか?
小島 自分と同世代の永田さんが(ベルトを)持っているっていうのは刺激になりましたし、あとは現在の全日本プロレスっていうのが、ずっと私が知らなかった選手だったりとか。若くて、いきが良くてっていう選手が活躍している舞台になっていますから、その中にまた、私みたいな選手がいるっていう違和感を、色んな人に感じてもらえればなって思います。
――チャンピオン青柳選手の印象は?
小島 何年も前から、存在は知っていましたし、彼がまだジュニアヘビーの時に新日本の選手と何回か絡んだり、そういうのも見てましたし、今はもう立派なヘビー級の選手になっていて、試合だけじゃなくてキャラクターとしてもしっかりと青柳優馬っていうのを作りあげた印象があるんですね。例えば、言葉の使い方が面白かったりとか、ちょっとユニークな感じだったりとか。それも含めて、青柳優馬っているのを確立しつつあるんだなっていうのがあるんですね。そういう選手と今回ベルトをかけてできるっていうのはありがたいなって思います。
――今回の試合では、どういうものを見せたいですか?
小島 どういうものを見せたいっていうより、絶対に見てもらおうって思ってるんですよね。自分の全てですよね。生き方というか。こうやって32年間、俺はプロレスラーをやってきたんだぞって試合を見せたいんですよ。歴史というか、自分がずっとやってきた、決して圧倒的には強くはなかったけれども、やられながらも立ち向かう姿勢だったりとか、ラリアットを一生懸命、最後に決めようとする気持ちだったりとか。ずっとやられも、痛そうにしているけれども、そこから頑張っていこうとしている姿だったりだとか。プロレスの試合を通じて、小島聡というものをすべて、全部見て頂ければなと思います。
――その上で勝ってベルトをという感じですか?
小島 もちろん、選手権試合なのでベルトを欲しいと思って試合はしますし、獲った後のことも頭に入れて試合はしますし、対戦相手の青柳選手に対してもいろんな思いを込めて戦いますし。来てくれる、見てくれるファンの方のためにも、勝ちたいなと思いますし。とにかく32年という時間を見て頂きたいなと思います。
――もし三冠ベルトが意思を持っているとしたら、何と話しかけたいですか?
小島 なんて声かけますかねえ(笑)その節はありがとうございました、とかですかね(笑)2004年、2005年くらいですか。ずっと関わって、挑戦したり、防衛したり、手放してしまったりっていうね。関わっている時間っていっぱいありましたので。あとは今現在の一つになったベルトは手にしたことがないんですね。私が持っていた時は三本のベルトが存在していて、その3つを持っていたっていう時代だったので。今の新しくなった1本の三冠ヘビー級っていうタイトルを一度手にしてみたいなっていうのがあります。
――小島選手のラリアットやコスチュームなど、今のスタイルのベースが固まったのは全日本時代に?
小島 そうですね。出す技だったりとか、試合のスタイルだったりとか、戦い方だったりっていうのは全日本時代に作られたものですね、正直。
――ラリアットでチャンピオンにがっつりと決めたい?
小島 ラリアットを決めるのはもちろんなんですけれども、とにかくお互いムキになって熱いものを見せ合えればなっていうのがすごくあって。まだ20代のチャンピオンっていうだけでもすごいなって思いますし、そのチャンピオンに挑戦する52歳っていうのもね、また色んな意味ですごいなって思ってるし自分でも。でも現実に、こうやってチャンスが回って来ている訳ですから、それはやはり無駄にしたくないです。
――プロレスって何が起きるかわからないですね。
小島 本当ですね!だから、それを楽しんでやっていますし、感謝もしてやっていますし。やっぱりプロレスっていうものにいつも助けられて、今日まできたっていう思いがあるので。この年になってもプロレスラーとして生きていることができて、なおかつベルトに挑戦できる位置にいたりとか、それも含めて自分を楽しんで試合したいなと思います。
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